このページでは、江古田の街の商店会を紹介します。
江古田には12もの商店会があります。北口側に5つ・南口側に7つもあるなんて、ご存じでしたか。
以下、このページを起点として、次のようなコンテンツをお届けします。
まず、下記のMAPの南側(西武池袋線の下側)をご覧ください。
練馬区の東端(東長崎寄り)から江古田駅方向に向かって、千川通り沿いに3つの商店会・旭丘文化通り沿いに2つの商店会が並んでいます。
MAPからもわかるように、旭丘東商店会と旭丘東文化通り親和会は、隣の豊島区との区界に接しています。(MAP右側を上下に走る細い茶色の腺が区界です。)
江古田駅南口交差点(千川通りと江古田通りが交差するところ)から区界までは、500〜600Mありますので、駅南東の5つの商店会は、かなり横長のエリアにそれぞれ位置していることに留意してください。
南側の商店会については、もうひとつ留意点があります。実は、江古田には「江古田銀座」と「旭丘銀座」の、ふたつの「××銀座商店会」があることです。
江古田駅南口交差点から桜台駅寄りの踏み切り(MAP左側)に向かう道の入り口に、「江古田銀座商店会」のアーチがかかっています。けれど、正確には、そこは「旭丘銀座商店会」なんですね。
利用者にとっては同じエリアですが、住所が「栄町」の部分が「江古田銀座」で、「旭丘」の部分が「旭丘銀座」ということになっています。
北側に目を転じてみましょう。
「日大通り商店会」は、日大の前だけでなく、浅間神社の方まで伸びています。これは、同商店会が「旭丘2丁目+小竹町1丁目」にある商店の集まりであるためと考えられます。いうまでもなく、東長崎駅寄りの踏み切り(MAP右側)のそばにある各商店も同商店会のエリアです。
「栄町本通り商店街振興組合」は、むしろ愛称である「ゆうゆうロード」の方が通りがよいかもしれません。ちなみに、こんな堅苦しい名前になっているのは、同商店会が「商店街振興組合法」という法律にもとづいて設置された「法人組織」であるためです。
MAPでもわかるように、江古田駅と西武有楽町線の新桜台駅を結ぶ広いエリアをカバーしています。
「江古田市場通り商店会」(旧称:江古田ミツワ商店会)は、「江古田北口商店会」に囲まれるように位置しています。規模は小さめですが、「市場」の名に恥じないおもむきのある商店会です。
なお、江古田駅南口交差点以西の千川通り沿いと以南の江古田通り沿いの商店は、商店会組織になっていないようです。
各商店会に関する諸データは、練馬区商店街連合会による「練馬区商業名鑑 2002 」を参照の上、わたし/cat が加筆・修正を加えています。
下記文中の会員数は同書によるものです。ただし、各商店会の加盟店一覧表の備考欄からわかるように、同書発行後、いくつかの店が閉店しています。
そのあとに入った店が商店会に加盟しているかどうかは未確認です。その旨、ご了承・ご注意ください。
お願い
本コンテンツは、「データベース」の形式をとっています。しかし、その趣旨は「江古田をより理解するための手がかり」という点においています。(「あぁ、あの一角って、そういえばあんな店があったよね。」「あれっ? あの店のそばにこんな店もあったのか。」「あの店は商店会に加盟してないんだ。」etc
... )
適宜、データのメンテナンスはいたす予定ですが、上記の趣旨にのっとり、本データをイエローページとしてご利用することはご容赦ください。
「policy」ページでの記述とあわせ、ご理解を賜りたく、あらためてお願い申しあげる次第です。
なお、各商店会の加盟店一覧は、下記の順番で閲覧できるよう、ページ下段にリンクを貼ってあります。
いちいちこのページに戻らなくてもすみますので、ご活用ください。
公式サイトはこちらから
会員数126名
1965年/昭和40年、練馬区最初の振興組合として発足。ハード・ソフト両面で積極的な活動を行っている。
商店街の道路舗装化は練馬区初であり、夕方の買い物時間帯の交通規制は東京初(1969年/昭和44年)だそうである。また、2ヶ月に1回開催の「江古田ナイトバザール」は1996年/平成8年から開始されている。
加盟店一覧をみる → こちらからドーゾ
公式サイトはこちらから
会員数31名
1922年/大正11年、武蔵野線(現・西武池袋線)江古田駅が開業する。
これにともない、商店が集まることで形成された「江古田市場」が、同商店会の前身である。(この「市場」は、東京への空襲が激しくなった1944年/昭和19年に、強制撤去させられた。)
1946年/昭和21年、現在地に食料品店を中心とした22店が集まり、「江古田市場」が再開される。
1952年/昭和27年、周辺の商店群との間で「連合会」が結成される。
さらに、1955年/昭和30年の「ムサシノ百貨店」の開業・連合会加入を経て、1960年/昭和35年に「江古田ミツワ商店会」が設立される。(市場と周辺商店/連合会とムサシノ百貨店の3者の「輪」の意である由。)
2001年/平成13年、同商店会は現在の名称に変更した。
加盟店一覧をみる → こちらからドーゾ
公式サイトはこちらから
会員数103名
1964年/昭和39年創立。当初の会員は50数名。
戦後の江古田駅北側の商店は「共愛会」という組織を構成していたが、同商店会はここから分離・独立し、現在にいたる。(江古田駅北口の開設は1963年/昭和38年)
同商店会も、浅間通りの道幅拡張工事と音大通りの開発整備事業の開始によって、街並みを変えつつある。
加盟店一覧をみる → こちらからドーゾ
会員数28名
1948年/昭和23年創立。当初の会員は8名。
1975年/昭和50年代には会員数は50名を越えたが、現在は減少傾向にある。会員の半数以上が創業50〜70年を数えるが、小竹通りの道幅拡張工事にともなう改装などで、街並みに変化が出てきている。
加盟店一覧をみる → こちらからドーゾ
公式サイトはこちらから
会員数123名
1953年/昭和28年創立。
エリアの半分近くが日大芸術学部沿いにあるため、商店の密集度はやや低くなるものの、2002年現在、空き店舗なしという健闘を見せている。
会員数でも、栄町本通り商店街振興組合とならぶ規模となっている。
加盟店一覧をみる → こちらからドーゾ
会員数80名
1951年/昭和26年創立。当初の会員は29名。
2000年頃から、店舗の改装・ビル化が進んでいる。また、線路際のブロックがマンションとなり、桜台寄りの踏み切りからの景観が一変した。
加盟店一覧をみる → こちらからドーゾ
会員数52名
1983年/昭和58年創立。旧・旭丘商栄会(260店加盟・1951年/昭和26年創立)が6分割されたうちのひとつ。
1959年/昭和37年9月の江古田駅移転により、同商店会は南口改札正面に位置することになった。(当時は北口はなかった)
とはいえ、一般的には「江古田銀座商店会」と認知(というか混同)されているように見受けられる。
加盟店一覧をみる → こちらからドーゾ
会員数71名
1984年/昭和59年創立。旧・旭丘商栄会(260店加盟・1951年/昭和26年創立)が6分割されたうちのひとつ。
1970年/昭和50年代まで、現在の「パチンコ・ミナミ」のところに「江古田文化」という映画館があった。「文化通り」という名称/通称はこの映画館に由来しているが、商店会名もこれにちなんでつけられた。
なお、駅前の「BeBe」もそれに並ぶ「パチンコ・日の丸」や「魚がし鮨」、さらには江古田駅南口交差点に向かう道筋にある「珍竹」なども同商店会の会員である。
加盟店一覧をみる → こちらからドーゾ
会員数23名
1976年/昭和51年創立。
1967年/昭和42年、旭丘1-23にあった青果・食料品市場の高野台移転にともない、場内外の商店が集まり親睦会を設立した。
この親睦会が、1983年/昭和58年の旭丘商栄会の分割にあわせ、当地区の商店会として活動を開始することになった。設立当初の会員は45名を数え、イベント活動も活発であったそうだが、最近はやや縮小傾向にあるようだ。
加盟店一覧をみる → こちらからドーゾ
会員数45名
1983年/昭和58年創立。旧・旭丘商栄会(260店加盟・1951年/昭和26年創立)が6分割されたうちのひとつ。
千川通り沿いの3つの商店会のうちで、もっとも江古田駅に近い商店会。西端が江古田通りに面していることもあり、豊島区側だけでなく中野区側からの自動車での来店者も多いようである。
ただし、その分、駐車スペースの確保が課題となっている由。
加盟店一覧をみる → こちらからドーゾ
会員数40名
1983年/昭和58年創立。旧・旭丘商栄会(260店加盟・1951年/昭和26年創立)が6分割されたうちのひとつ。
1986年/昭和61年に、旭丘中央商店会と合併し、現在にいたる。
加盟店一覧をみる → こちらからドーゾ
会員数39名
1984年/昭和59年創立。旧・旭丘商栄会(260店加盟・1951年/昭和26年創立)が6分割されたうちのひとつ。
千川通り沿い・練馬区最東端に位置する。旭丘商栄会の東ブロック時代は18店であったが、分割・独立時には周辺の商店37店を加え発足にいたる。
加盟店一覧をみる → こちらからドーゾ