練馬・中野両地区の江古田住人にとって、中野区江原町(えはらちょう)は隣町になります。けれど、単に隣町という以上に、「江古田」に深い関係があるんですね。
「江古田のなりたち」ページをお読みいただければ、現在の江原町も、もともとは江古田(村)だったことがわかります。では、江原町はいつから・どのような経緯によって「江原町」になったのでしょうか。
残念ながら、中野区史には、その辺の事情が書いてありません。
で、他の資料であたってみると、だいたいこんな感じのようです。
昭和に入ってからの中野区江古田地区におけるもっとも大きな事業に、土地の区画整理があった。(1933年/昭和8年〜1944年/昭和19年登記完了)
この公園設置にあたり、公園の名称を下記の手順により「江原公園」に決定した。
なお、公園名称は、区画整理組合理事会の案である。(堀野 1973)
1940年/昭和15年:江原公園完成
戦後、児童数の急増から学校数が不足したため、中野区では小学校の増設を行うこととなった。
そして、1952年/昭和27年、江原および丸山小学校が新設された。
1963年/昭和38年10月1日から、町区域の新設が実施され、江原町および松が丘の2町が新設された。
町名決定の経緯は不明だが、江原公園・江原小学校にちなんだものと推測される。
この町名変更に対しては、地元の強い反対があったが、中野区側はこれを認めなかった。
反対の理由には、江古田の地名が古くからあることに加え、「江古田駅が近い」ことが理由にあがっている。(堀野 1973)
中野区江古田の住人にとっても、西武池袋線江古田駅の存在が身近であることをうかがわせて興味深い。
エ〜ト、わたし/catは、練馬区の住人なので、実はこの地域のことは詳しくないんです。まぁ、本サイトは「練馬の江古田」が趣旨なので、これくらいで勘弁してください。(笑)